変わりたい体・変わりたくない体

あるワークショップに参加したときのエピソード。

誘ってくれた人はそのワークショップにつながるメソッドの勉強をしている人。

わたしは誘ってくれた日にキャンセルがあって時間が空いたから、「なにかゲームをやるんや」という認識で、暇つぶしと興味本位の気楽な気分で参加しました。

ところが、その人は「こういうのに参加する人は、自ら変革を求めている人だ」と考えていたらしい。終わってから、わたしに長いメッセージを送ってきました。わたしに「もっと素敵になってほしいから」とわたしがワークショップのゲームができてなかった理由を分析してくれました。

わたしは、ゲームでの点数が低かったけど、時間もつぶせたしゲームの内容もわかったから目的達成されて満足、だったので、「何が送られてきたの??」とびっくり。

話をして、その人は、わたしに「変わってほしい」んじゃなくて、「自分自身が変わりたい」んだとわかりました。

『変わることが良いこと、変わらないのは悪いこと。

アクティブなのは良いこと、ひきこもりは悪いこと。

わたしはなにか役割を果たさなくてはならない』

うーん・・・そうかなー。

別に変わろうとしなくてもいいと思います。

(まあ、変わりたいというのは、体に居心地の悪さがあるとはおもいますが。)

そのまんまでいても、気づいたら変わってると思うし。自分も、社会も。

ひきこもりたいときにひきこもってるのは、それでいいと思うし。

(外に出たら・自分が動いたら、何か自分に危険な状況になる、と思うからひきこもる。もちろん、本人がひきこもりをやめて外に出たい・動きたいなら、そうすればいい。そのときどうしたらいいかわからないのを、お手伝いするのがわたしの仕事でもあるわけですが・・・この話は長くなるのでまた今度書きます)

変わろうとがんばっても案外変わらないものだし、変わらないつもりでいても、変わっちゃうし。

何か世の中に対してすごい役割を果たそうとしてもいいし、そんなこと考えなくてもいいし、どっちでもいい。

その人が「存在している」だけで、何らかの役割を果たしている。

何がすごいことか、すごくないのか、わたしには判断できない。

世界中に名前が知られてたら、お金をたくさん生み出せたら、人の命をたくさん救ってたら、社会の仕組みを変えたら、すごい?

じゃあ、無名で、貧乏で、人を傷つけ、社会の仕組みに影響しなかったら、すごくない?

こんなふうに書いたいくつかの言葉で、その人を説明しきれない。

なにがすごいかすごくないかは、わからない。

(ほら、歴史上の人物なんて、そうよね? 何百年にわたって「悪い奴」と見なされていた人が後に「ヒーロー」に見なされたり。その人の視点のドラマだと、とても悲劇的だったり。逆もあったり。同時代に生きていても関わらなかった人にとっては、悪人でも善人でもなく、「どうでもいい人」だし。)

あなたの生き方の何がすごいかどうか、わたしは知らない。

でも、わたしは、あなたの体に触れたら、その体の何がすごいかを、語ることができる。

ここあるきには、すごい体の人しか来ない。

病名がついていてもいなくても、治らない何かがあっても、弱ってても、痛くても、年をとっていても、なまけてても、いじわるでも、めそめそしてても、ひくつでも、しかめっつらでも、だらけてても、緊張してても、どんな姿勢でも。

全員、一人残らず、すごい。

ほんと、触ると、「ひえー!!」「うわー!!」とびっくりするのです。毎回、「すごーーい!!」なのです。涙が出そうになるのです。この体ってすごい!

あなたは自分の体に触ったことないから、人の体に触れていないから「ひえー!!」とか「うわー!!」とか思わないんだと思う。

変わりたいとか、変わりたくないとか、そんなのどっちでもいい。

もし、「ひえー!!」とか「うわー!!」とかに興味があったら、来てみてね。

体をみる・しる・そだてる。

自分や人の体を触ったりして「みて」、こんななんだーって「しったら」、体は行きたい方向に育ちはじめる。

変わる・変わらないというより、育っちゃうのです。