平安時代の地蔵菩薩の体(助かりたい体)

前回に続いて、トーハク(東京国立博物館)展示の地蔵菩薩立像です。

こちらは、平安時代 12世紀、京都の浄瑠璃寺のものです。これは2階に展示されているので、比較しづらいのですが、両方見ていただけたらと思います。

実は、「身体の時代性」を実感したのは、数年前、トーハクで2体の地蔵菩薩立像が並んで展示されているのを観察したときでした。(今回の仏像2体とは別のもの)

そのときも、平安時代後期と、鎌倉時代。

平安時代の地蔵菩薩が、地に足がついていない、ふわふわの高い重心なのに驚いたのです。下半身が幽霊みたいに存在感がなく、隣に立つ鎌倉時代の地蔵菩薩のたくましい足と対照的でした。

身体の使い方は「上虚下実(じょうきょかじつ)」下半身がどっしりしていて、上半身はその上に軽く乗っているような状態が使いやすい、昔の人はそれができていた、と整体で習っていたので「えー? 昔の人でもこんなのあり?!」

 

平安時代後期の仏像建立の動機は、末法思想です。治安の乱れ、貴族社会の終焉と武士の台頭。「嵐に吹き飛ばされそうな、ワタシを助けてください」・・・なんだか現代に似てるような。

今までわたしが見てきたところ、平安時代後期の仏像は重心が高く、地に足がついていません。軸が弱くて、振り回されやすい体です。

(こういう観察の経験から、仏像の体には、それが作られた時代性・地域性・作家性、思想が反映されているという仮説のもとに観察を続けているわけです。人間そっくりな造形で思想を体現する仏像には、どうしたって、身の回りの人間の心身が影響すると思うからです。)

 

今回の浄瑠璃寺の地蔵菩薩も、重心が高いです。ふわふわです。

濁った水から首だけ出して、「助けて」と言っているようです。

右手は与願印(腕を下方に伸ばし、手のひらを見せる)ですが、この右手はとってつけたように浮いています。

足は薄く、生活で歩くことは少なく、肩甲骨周りが固まり股関節が詰まって全体的に動きづらそうです。

お腹の力が抜けていて、疲れやすそうな、呼吸しづらい体です。

(観察日が猛暑の日で、この体だとてきめん夏バテする・・・と思いました。この仏像は夏バテ対策の師匠。)

体を使わない、不安や妄想に支配されがち・・・だと、自分を助けるために、地蔵菩薩にすがりたくもなるなあ。

(体そのものは使ってないから動かしづらいだけだから、うちに来て一緒にワークをやったら「案外動かせる!」って帰りはスタスタ軽快に歩いて帰りそうなんだけど。)

 

この地蔵菩薩は、「人々を助けるお地蔵さん」の像ではなく、「助けてもらいたいワタシ=お公家さん」が投影されている像に見えます。

大丈夫なのか、お地蔵さん。

 

人助けしたい、いえいえ、本当は自分が助けてほしい。

不安にかき乱される心をなんとかなだめようとする行為が、地蔵建立だったり、なにかにのめり込むことだったり(仕事でも趣味でも、あるいは家族などとの人間関係でも)。

「あなたのため、世間のため」ではなく、「本当はワタシのため」にやっている。

(「人のため」がカッコよくて、「ワタシのため」はカッコ悪い? ワタシは第一にワタシのために生きているんでしょう? ずれてるほうがカッコ悪い。)

それを自覚することで、得体のしれない不安は小さくなるかもしれません。

 

平安の地蔵菩薩は、「ワタシが助かりたい」を偽らずに表現している。

開眼法要が済んだとき、お公家さんは「ワタシは助かる」と幾分か不安も小さくなり、重心があるべきところに落ち着いたのではないか、と思います。

 

 

 

 

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