うんと若くなりたい気分

オランダの69歳の男性が、生年月日を20年若く変更したいと裁判所に訴えたそうです。

(livedoor news)

「世間には年齢差別がある。もっと若ければもっとモテるし、就職で弾かれることもない。」(本人談)

中国の古典で、十八歳までしか生きられないと占い師に言われた若者が、神様が碁を打っているときに酒肴でもてなして、寿命の台帳の年齢を書き換えてもらうというのがありました(『捜神記』・・・類話は各地にあるようです

寿命の書き換えは生き方を変えたらできそうだけど、生年月日の書き換えの発想は、わたしにはなかったなあ。

「性別や名前の変更ができるのに、生年月日の変更ができないのはオカシイ」

性別の変更は、本人の性自認に沿った性を尊重してほしいということだし、
名前は、親か誰かから与えられたものだから自分で改めて選択したい、ということだと思います。

「永遠に24歳」で活動するプリンセス・テンコーさんもいらっしゃるし、自称何歳は人それぞれ。

 

でも、〇年〇月〇日に生まれたことを変えたい、というのは通るのかしら??
(就学・結婚・納税・選挙/被選挙・年金受給云々のタイミングは年齢で決まっていることが多いのだから、出生時の登録を超えて生年月日の変更を認めるとそのような義務をスキップしたり二重に利益を得たり、という混乱があるんじゃ・・・??)

「なんやそれー」という人もいるだろうけど「生年月日を書き換えたいってその発想、おもしろい! その行動力、ウケる!」という人もいそう。お付き合いしたい、採用したい、という人も現れると思う。(本件のエミール・ラーテルバントさんのサイトを見る限り、問題提起のパフォーマンスなのかな? )

 

たしかに、ある年齢の範囲を先方が勝手に期待するというのはあるでしょうね。
恋愛や就職のサイトで、膨大な人数から絞り込むのに一番シンプルなフィルターが年齢でしょうし。

結婚相談所を経営している方も、女性も男性も対象年齢を狭く設定しすぎ、とおっしゃってました。
あと5歳、10歳、視野を拡げたら、うんと可能性は広がるのにって。

 

ただ、自分がいろんな人を受け入れるフィルターを変えるのと、相手の期待値に合わせて自分の数値を変えるのは違う。ラーテルバントさん、ご自分が69歳なの、ダメなんですか? よくわからないなあ・・・。これが本気なら、旧来の価値観にしばられすぎてる気もします。

 

 

寿命が飛躍的に延びたこの数十年、今の年齢の75パーセントくらいで考えるのが一昔ふた昔前の感覚に合うくらいかなあ、とわたしは思います。(今の100歳は昔の75歳、今の75歳は昔の56.25歳、50歳は37.5歳、40歳は30歳、20歳は15歳・・・。)ラーテルバントさんも、69歳×0.75=51.75歳で、本人希望の49歳に近似します。

肉体的・精神的な成熟度や、社会へのかかわり方もそんな感じじゃないかしら。
(たとえば、かつては30歳は高齢出産と言われたけど、今は30歳初産なんてごく普通です。)

現代は、こういう年齢のひずみを相手や周りに対して認知できなかったり、相手や周りが自分に対して認めていなかったり、自分自身に落としどころが見つけられなかったり、というねじれがあちこちで生じているのかも。

 

年齢はあくまで数字で、どのように生きてきたどのような人かというのは、実際に会わないと分からないところがいっぱいあります。

人生100年時代と言われる今日、年齢へのこだわりや思い込みをはずしていくことが、個人や社会のいろんな課題を解決していく糸口になるんじゃないかしら。

 

「若いのがすばらしい」っていう価値観では、生きていたら毎年1歳ずつ年をとるのは確実なのに、年々すばらしくなくなっていくってことになっちゃいますもんね。

年をとるとき、枯れていくのか、成熟していくのか、どの方向をめざしているんでしょう。

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