未来を書き換える体(『捜神記』の寿命書き換え)

先日の記事で、中国の古典『捜神記』のことをちらっと書きました。

神様が寿命の台帳の書き換えをするお話です。

 

ある若者が、占い師に言われた。「お前は18歳までしか生きられない」「命を延ばすには、神様に寿命の台帳を書き換えていただくこと。神様はそうそう願い事を聴かないが、供物をそうっと差し出し食べてもらえ」と。

神様が碁を夢中で打っていたところ、若者が差し出した酒や肴を食べてしまって、「ああ~お供えを食ってもうた! これはお礼をせな~、しゃあないな~ お兄ちゃん、寿命十八? この数字を入れ替えて・・・八十に変えたるわ!」

碁を打ちながらうっかり肴をつまんでしまう神様がなんだかほほえましい。ゲームしながらスナックポリポリ食べる今どきの子みたいね。

 

それにしてもミッションをやり遂げる若者がすごいですね。

占い師は、若者の長生きできる素質とそれを妨げるものを見抜いたから、こういう助言をした。

神様の座っている際まで近寄って、そうっと酒肴を差し出すなんて、緊張するし勇気がいることだと思います。

 

神様の前での行動から察するに、若者はそうっと近寄っても気づかれない「影が薄い」ところのある人だったのでしょう。

若者は、集団のなかではその他大勢に埋もれやすい。自己主張をあえて通すこともしない。そういう目立たない人だったのではないかしら。もしかしたら、その控えめなところを、周りに軽んじられていたかもしれません。おとなしいからと損な役割を押し付けられたりって現代でもありますよね・・・

 

占い師は、彼のそういう静かさこそ、神様に見てもらうべき美徳、生かすべき長所と見てとった。

それで、そうっと酒肴を差し出させ、「モグモグモグ・・・うわー、気づかなかった! いつのまに?」と神様をびっくりさせた。

「もう生きるのどうでもいい」と投げやりで、「そんなのムリムリ!」の臆病さが先に立つ人なら、この展開はない。

彼は「おれは影が薄くて先がないとばかり思っていたが、この目立たなさで神様に認められたのだ。」と自分らしさを誇ることができた。

 

(身もふたもなく書いちゃうと、「そうっと捧げた供物を神様が食べちゃう」というのは物語の表現手法であって、つまり、「人に知られない善行」と「《生きたい》という欲望の肯定」の比喩ですね。若者は、それこそ弱った心と体を押してそこまで足を運んだかもしれない。)

 

占い師も、神様も、若者の心の中にいたのだと思う。

「あー、おれに未来はない」と底の底まで落ち込んでうずくまり、「いや、こんなおれでも生きている、生きたいのだ」とよどみの中でについに自分自身に気づく。

自分自身のもっとも「自分らしい」部分って、少数派でとんがりすぎていたり、周りと折り合わなかったりすることも。太ってる/痩せてる、ほかの人がスイスイこなすことに自分はもたついてばかりだと落ち込んだり。それで死にたくなるほど悲しい気持ちになったり、自分を大事にしなくなることも。

 

彼の心の中の寿命の台帳、未来を書き換えたのは、彼自身の自覚と決意。

「生きたい。おれは、おれでいいのだ」。

武功を立てるとか財を成すといった、華々しい成果だけがすごいんじゃない。

彼の勇気ある決意は、神様の小腹を満たすほどの地味なすごさだ。

 

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